この町に来てから、1年ほど移民向け語学学校LINCへ通いました。
税金で賄われているというガバメントファンディングの学校で、新移民は無料という名目で通うことができます。
ここでは英語だけではなく、カナダの文化や歴史についても学ばせてもらえるありがたい制度でした。
しかし、そこで出会ったクラスメートたちは、ほぼ全員がネタになりそうなほど濃い人ばかりだったんです。
移民といえば
移民と聞くと、どんな人を思い浮かべますか。
結婚移民?もしくは、スキルなどを持つことで移民した人でしょうか?
ハイスキルではなくロースキルカテゴリーだけど、自分も自力で移民したこともあって、この2つのカテゴリーでの移民しか想像がつきませんでした。
難民としてやってきた人たち
ところが、蓋を開けてみると、ビックリ玉手箱。
移民向け語学学校なるものは、パンドラボックスでした。
難民としてカナダへやってきた人が大半なクラスは、
「ザ・コスモ」ならぬ「ザ・ケイオス(カオス)」で、完全なる未知との遭遇でした。
宇宙人との方が話が通じるかも?なんて、冗談抜きに思ってしまう人も多かったです。
あまりの衝撃に石化してしまう日々
学校での生活は、あまりの衝撃の連続に(・∀・)←この顔の表情のまま石像のように固まってしまう日々でした。
仲良しのビオレッタかリディア(この2人は常識あり。ブルガリアとウクライナ出身)が折角ストロスの杖を振りかざして石化を解いてくれても、その数分後にはまたも新たなる衝撃で石化してしまうほどです。
前後左右、どこを見渡してもメデューサだらけの学校でした。
精神修行のような学生生活
例えようが他にないけれど、まるで精神修行のような学生生活でした。
スピリチュアルの世界で言うには、人生は「経験」と「感動」の体験のためにあるのだそうで、その経験値が人生を豊かにするのだそうで。
そして、その体験は自分の魂を成長させるために必要であるからやってくるわけで、気付かぬうちに、むしろ自分から望んで呼びよせているものなのだそうです。
まさか石化することを自ら望んでいたとは・・・!
これには驚きです。
確かに、自分では気づかなかったというもので、
酢やベーキングソーダ水をかけられなくて本当に良かったと思います。
難民だらけのLINC
話は戻り、移民向け学校LINCに通ってくる移民のほとんどは「難民」で構成されていました。
着の身着のままで安息の地を求めてやって来ただとか、大使館に逃げ込んでやって来たなんて生徒はザラで、「Hello」も言えない状態でやってきた人もいました。
ただし、はじめは英語ができなくても、母国語がフランス語(アフリカ系とか)だったり、英語のブラザーだとか言われるスペイン語(南米系)だったり、そうでなくても英語との共通点だらけのペルシア語(中東系)だったりするので、数か月後にはすぐに私の弱い英語力は抜かれていきました。
というより、日本語が一番英語からかけ離れていただけで、出身国が日本から西へ行けば行くほど母国語と英語が似ているようで、学びやすそうでした。
亡命予備軍
次に「準難民ベース」である「亡命予備軍」系のクラスメートも多かったです。
彼らは、政局不安などにより、一時的非難のような形でカナダにやってきた人でした。
結婚移民と家族移民 と投資移民
そして、やっと残りの少人数が「結婚」などによりやってきた「配偶者移民」と「家族移民」であり、さらなる少数派が超お金持ちな中国勢による「投資移民」でした。
スキル移民
自分のような「スキル移民」に至っては、全体の5%以下の割合でした。
無理もないです。
すでにスキルがあれば、大抵は働いているか、大学か院で学べる英語力があるからです。
私の場合は「ロースキル」で微妙だったことと、移民になった後に夫の国でしばらく過ごしていたため英語が伸びていなかった(というか下がった)ので、英語をきちんと学ぶ必要がありました。
しかも、悲しいことに語彙力の関係で、超えられない圧倒的な高い壁を感じるほどできない方でした。
とにかく、そういうわけで、私のような学生のケースは非常に珍しかったようです。
日本人に出会わなかったLINC生活
こんな感じの移民向け語学学校でした。
場所は違っても、どこでもLINCは似たようなものなんじゃないかなって思います。
クラスに日本人がいたことは1度もありませんでした。
クラスメートの国籍はアフリカ系だとか、中東系だとか、カリブ海諸国だとか、聞き慣れない国の人が多かったです。
おわりに
というわけで、カオスだったカナダの移民向け語学学校LINCについて書いてみました。
ここへ通わなければ、恐らく一生関わることのなかった人たちとも話すことができたので、経験を積めたことはきっと良かったのだろうと今は思っています。
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