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カナダと日本と韓国と、たまにオーストラリア。人生真っ盛りという意識で生活したい

英語への興味ゼロだった私が海外へ出た理由とキッカケ

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 元々英語は苦手でした。今でも決して得意なわけではありませんが、日本にいた頃は完全に英語を毛嫌いしていました。

 

 英語の成績はかなり悪く、恥ずかしながらよく赤点を取っていましたが、正直気にもしていませんでした。英語は人生に必要ないと本気で思っていたのです。こんな調子ですからもちろん海外への興味も一切なく、親から「海外旅行へ行こう」と誘われても断るほどでした。「旅行には行かないから、代わりに旅費分のおこずかいをちょうだい。」なんて内心思っていたほどです。

当たり前に「日本に来る人が日本語を話すべきでしょう」と思っていましたし、クラスに交換留学生がいても会話をした記憶がまるでありません。いつのことだったか友人が夏休みに語学留学に行った話をしてくれた時だって、実は完全に聞き流してしました。

 今思い起こすと英語を学び始めるキッカケは何度でもあったのに、「苦手意識」から「嫌い」「毛嫌い」へと変化していき、最終的には極端な表現で表すと「英語は敵」だとまで感じる始末でした。

 そんな考えを20数年間ずっと持ち続けていた私でしたから、今でもカナダで生活しているだなんて、ふと信じられない気持ちになることがあります。 

 

海外に出たキッカケ

海外に興味を持ち始めたのは、憧れからではありませんでした。

20代中盤に差し掛かっていた私は選択を迫られていました。キャリアとして働いていたわけではなく、女性は腰かけ程度に数年働くような風潮のある中で働いていたので、年々自然と「結婚」という言葉が付きまとうようになりました。

会社は典型的な古い体質の会社で、女性はまさに「お茶汲み」と「美しくいること」が仕事だといった古風な雰囲気がありました。

こんなエピソードがあります。

ある日、遅刻しそうになってノーメイクで出社したところ、先輩に給湯室に呼び出されてポーチを渡されました。ポーチには彼女のメイク道具が入っており、「これ使っていいから、今すぐ化粧をしなさい。」と彼女は言うのです。

これは嫌がらせではありません。

常に完全な美しさでいること、それがその会社では女性に与えられた仕事だったのです。先輩たちは、当然のように寿退社を理由に段々といなくなていきました。

(ここで言及した美しさというのは、容姿端麗であれというわけではありません。そうあろうとする「意識」を持つといった感じです。古い時代でした。)

 

転機1

結婚するか別れるかの選択

そんな中で、当時3年ほど付き合っていた男性から、「俺と結婚をするのか別れるのかそろそろ決めてくれないか。」と言われました。プロポーズではありませんでしたが、このことは色々考えるキッカケになりました。これは、今考えても大きな転機であったと思います。

彼は人間的な魅力のある人でしたが、結局私は「別れを決意」しました。彼の実家の敷地内に家を新築するので、結婚後は家庭に入り、ゆくゆくは義理の両親の面倒をみるようにと言われていました。20代前半でその後の長い人生を決めることはできないと当時は思ったのです。

保守的な土地柄

また、こういうこともありました。冗談で「私が1年間海外へ留学しようかな?」と独り言を言ったところ大反対されたのですが、普段は穏やかで優しい口調の彼が、少し荒げた声のトーンで話したのでショックを受けました。

結婚適齢期での海外渡航だなんて自分勝手極まりない行動であり、保守的な土地柄である地元ではなかなかありえないことではありました。しかし、このように感情を出しながら反対されてしまったことに、正直少し覚めてしまったのだと思います。

ああ、この人は素敵な人だと思っていたけれど、彼の支配下について傅いていないと納得してくれないのかなって、なんだか悲しくなりました。

今思えば地元を離れるだけでも良かったのかもしれませんが、上京すると言う考え自体があまりない土地で育ったので、私にもその選択肢は浮かびもしてきませんでした。

寿退社

年齢のこともあり、会社には段々居づらなりました。女性の先輩や同僚には恵まれましたが、上司からのセクハラ発言や行動は当たり前でしたし、年を重ねた女性らがどう言われているのかということが嫌でも毎日のように耳に入ってきました。

自分の選択が悪かったのですが、一般職の女性はここでは一生は働けないと思いました。「寿退社」をすることが当然であるようでした。

自発的なのか周りからのプレッシャーによるものなのかはわかりませんが、伝統を守るように、仲良くしてくれた先輩たちも寿退社をしていき、少しずついなくなってしまいました。

 

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 気づけば「退職」のことばかり考えていました。彼とは別れたものの、そのまま仕事を続けていたところで理系ではないし、大した学歴でもないので、きちんとした仕事を任せてもらえるようになる可能性は望めない雰囲気がありました。それどころか、そもそも男女の採用基準は全く異なり、結婚適齢期の私には先立つものや希望のない状態だったのです。

 

転機2

そんな折、ある日通訳にやってきた女性を見かけました。外部からこの日のために来てきてくれた方で、通訳のプロであるという話でした。上司らは机上での英語はできましたが、会話力はほぼゼロであったようです。

一方、その女性は上司らと話をしています。

当時働いていた会社では、女性も会議などに一応参加というか同席はしますが、発言すること自体を良しとされない絶対的な雰囲気がありました。だから、男性のしかも上司らと対等に話をしているように見える彼女の姿がとても衝撃的で、その姿は目に深く焼き付けられました。

どうやら彼女は冗談を言いながら、海外クライアントのグループとコミュニケーションをしているようでした。これは当時の私にはとても衝撃的な出来事でしたし、楽しそうに働く彼女はまぶしく輝いて見えました。

彼女の年齢は定かではありませんが、当時30代後半~40代前半に差し掛かる頃だったのではないかと思います。彼女の姿を見て、英語が話せたら多少年を重ねても普通に働けるのかもしれないと思ったのは、青天の霹靂でした。

 そこで、タイミングが重なったこともあり、留学を決意したわけです。

 

ワーキングホリデーでオーストラリアへ

資金面から留学ではなくワーキングホリデーに

留学を決意した私ですが、資金的な問題がありました。貯金自体は一応していましたが、現地で学校に入り、働かずして生活を1年も続けられるほどのお金はさすがにまだ溜まっていませんでした。親は折角入った会社を寿でなくただ退職することに反対でしたし、すでに成人して数年経っていますから当然援助をお願いすることも躊躇われました。

しかし、年齢的なこともあり、これから数年かけて留学資金を貯めていたら間に合わないと思いました。何に間に合わないと思ったのかは、自分でも定かではありませんが、とにかく今すぐにでも、なるべく若いうちに出ていかないとという焦りがありました。

渡航先

渡航先を考えるのに時間は掛かりませんでした。海やマリンスポーツが好きなことと、温暖な気候であること、イギリス系英語であること、また、コアラやカンガルーなどの可愛いイメージがあることなどからオーストラリアへワーキングホリデーで出かけることに決めました。

当時ワーキングホリデーなんて言葉は全く知りませんでしたが、留学について調べていたところ、突如どこかの留学エージェントでワーキングホリデーについて書かれていた記事が目に留まったのです。

こうして、決断をしてから約半年程度でオーストラリアへと旅立ったのでした。

 

おわりに

まずは「英語への興味がゼロだった私が海外へ出た理由とキッカケ」ということで、海外に出るまでの経緯を書いてみました。

最初のキッカケと動機はこの程度の単純なものでした。

それがまさか数年後にカナダでPNP(州政府ノミニ―プログラム)を申請し、自力で永住権を取ってカナダへ移民するまでになるとは、この時はまだ夢にも思っていませんでした。それはまた別のお話というやつです。

また機会があれば続編を書いていこうかと思います。最後まで読んでくれてありがとうございました。